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2011年 08月 28日 ( 1 )

義烈領民の墓

  平成23年 8月26日  当時の農民の悲痛な叫びを今に語り継ぐ大事さ、
皆の為に命をかけて立ち上がった義烈領民の精神は今なお心を打たれる。
矢島町新町の三浦佐治衛門氏他町内の皆さんによる、お堂の修復落慶法要が
執り行われました。
矢島藩延宝5年(1677年)生駒藩主二代目
「矢島に来て約30年余」
の頃から江戸詰めであったために国元の藩政
は群奉行や代官ら山本一族
が中心となっておりました。この中心人物達が江戸に来ており、再検地すると
3万石もの石高になると藩主をそそのかし農民への重い4倍もの年貢を強要しました。
しかし時は三年来の大飢饉の上不作でもあり農民は極貧の生活を強いられており、
督促も厳しく離村逃散が相次ぐ状況でした。
 そこで各地区の長・主達が武士の一部を味方にして嘆願書をつくり、江戸藩主に
直訴、そしてその一族を追放までは良かったのですが、またもその武士達(金子・小助川・市橋)
の藩政の実権掌握の為に利用されてしまったのです。その為村の肝煎、組頭が
集結し勇敢に意見を述べたのが笹子の仁左衛門でした。まず藩主に直訴し、
叶わなければ将軍家まで直訴し、この窮状を救う為立ち上がりました。
その訴状を清書したのが和光院でした。連判状の数984人と言われます。
仁左衛門達一行13人は無事江戸に着き藩主から認められ
1万5千石3万俵
の御朱印状を手にしましたが、これを知った小助川らは、
江戸に行き藩主に嘘偽りをでっち上げ仁佐衛門達を陥れ討ち取りの
御朱印状を手に、笹子本屋敷の仁佐衛門屋敷を焼き払い、罪の無い
ものまで捉えました。農民はその事に怒り再び藩主に直訴するべく
仁左衛門他13人が江戸へ。御朱印状を携えての江戸からの帰り道
小助川らと出会い激しい争いの後殆どが捉えられ裸森で処刑されました。
仁左衛門は、なかなか見つかりませんでしたが、従弟の久八が褒美に目
がくらみ居場所を密告し、山中で無念の最期を遂げたのです。その褒美に
まつわる話もありますが、あまり長くなるのでこれで終わります。 
 同行を希望した者は、上河内村葛平の重右衛門・外山の孫八・
直根岡田代の伝左衛門・道祖神村(現在の才の神)の三九郎・
打越の喜右衛門・石神の五郎助・上直根村百宅の治郎右衛門・
前郷荒沢村菅谷地の新五郎・向郷山村佐藤主計・下笹子村の源兵衛・
上笹子村天神の作兵衛・同村下宮の重五郎・同村真砂の勘左右衛門らであった。
騒動は3年も続いたのです。
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by isamu_satou | 2011-08-28 06:01