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義烈領民の墓

  平成23年 8月26日  当時の農民の悲痛な叫びを今に語り継ぐ大事さ、
皆の為に命をかけて立ち上がった義烈領民の精神は今なお心を打たれる。
矢島町新町の三浦佐治衛門氏他町内の皆さんによる、お堂の修復落慶法要が
執り行われました。
矢島藩延宝5年(1677年)生駒藩主二代目
「矢島に来て約30年余」
の頃から江戸詰めであったために国元の藩政
は群奉行や代官ら山本一族
が中心となっておりました。この中心人物達が江戸に来ており、再検地すると
3万石もの石高になると藩主をそそのかし農民への重い4倍もの年貢を強要しました。
しかし時は三年来の大飢饉の上不作でもあり農民は極貧の生活を強いられており、
督促も厳しく離村逃散が相次ぐ状況でした。
 そこで各地区の長・主達が武士の一部を味方にして嘆願書をつくり、江戸藩主に
直訴、そしてその一族を追放までは良かったのですが、またもその武士達(金子・小助川・市橋)
の藩政の実権掌握の為に利用されてしまったのです。その為村の肝煎、組頭が
集結し勇敢に意見を述べたのが笹子の仁左衛門でした。まず藩主に直訴し、
叶わなければ将軍家まで直訴し、この窮状を救う為立ち上がりました。
その訴状を清書したのが和光院でした。連判状の数984人と言われます。
仁左衛門達一行13人は無事江戸に着き藩主から認められ
1万5千石3万俵
の御朱印状を手にしましたが、これを知った小助川らは、
江戸に行き藩主に嘘偽りをでっち上げ仁佐衛門達を陥れ討ち取りの
御朱印状を手に、笹子本屋敷の仁佐衛門屋敷を焼き払い、罪の無い
ものまで捉えました。農民はその事に怒り再び藩主に直訴するべく
仁左衛門他13人が江戸へ。御朱印状を携えての江戸からの帰り道
小助川らと出会い激しい争いの後殆どが捉えられ裸森で処刑されました。
仁左衛門は、なかなか見つかりませんでしたが、従弟の久八が褒美に目
がくらみ居場所を密告し、山中で無念の最期を遂げたのです。その褒美に
まつわる話もありますが、あまり長くなるのでこれで終わります。 
 同行を希望した者は、上河内村葛平の重右衛門・外山の孫八・
直根岡田代の伝左衛門・道祖神村(現在の才の神)の三九郎・
打越の喜右衛門・石神の五郎助・上直根村百宅の治郎右衛門・
前郷荒沢村菅谷地の新五郎・向郷山村佐藤主計・下笹子村の源兵衛・
上笹子村天神の作兵衛・同村下宮の重五郎・同村真砂の勘左右衛門らであった。
騒動は3年も続いたのです。
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by isamu_satou | 2011-08-28 06:01

由利本荘市中心地から教育委員会本部が消える

 平成23年 8月23日

  議会任意の「教育環境を考える会」の研修会に於いての内容  ※教育長と教育委員長は異なります。

  現在公共建築物の耐震化工事を実施しております。耐震化工事中の矢島小学校
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 現在教育委員会本部が事務を執っている新築の第二総合庁舎、ここから教育委員会が西目町へそして建設部が入居予定
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 テーマの小項目の一つに、教育委員会事務局本部の移転についての議題がありました。
 何故教育委員会が、中心市街地を離れ西目町の庁舎に移らなければならないのか。研修会での事ですので申し添えます。
  内容は、本庁舎の耐震化でスペースが狭くなる部分、どの課かが本庁舎から他に移らなければならないというもので、事前に当局等が総合支所3箇所の空きスペースを調査し、たまたま西目総合支所が適当と判断されたとの事です。3月上旬に本庁舎の耐震化と合わせ議会に説明がありました。しかし、あまりにも突然でもあり説明と言うことで反対も無く特に質疑も無く、ただ教育長がよくまあ了承したもんだなと、議会側ではそう思った方が大半であったろうと私は思いました。所管委員会もあることだし、決定までは何らかの機会を持つだろうと思っていました。その後雪害の事後処理・大震災・大洪水・全国高等学校総合体育大会等があり今日に至っております。
  私は、移転先の西目町がどうこうの問題では無く何百年も続いた由利郡都の教育委員会が本荘の中心地からな くなる事への危惧であります、児童生徒も大半が市内集中しております、毎年小規模校一つが無 くなるくらい周辺地域の児童生徒が減少しております、しかしながら学校統合新校舎建設、耐震化事業など、学校を取り巻く環境もめまぐるしく変化の一途辿っております、そのような時節延々続いた伝統の本荘市教育委員会事務局本部が中心地を離れる事にいささかも心が動かされないのか質問した、出来れば 私は本庁舎隣りの行政センターに移転を希望するくらいの気持ですが皆さんはどう思われるでしょうか。 他の議員もその席上では、異議のある質問はありませんでした。
 教育委員・教育委員長始め4氏そしてとなりに教育長と教育委員会次長他職員が並びました。
席上、教育委員会委員長は教育委員会事務局が西目町へ移転する話は新聞で知ったと意外な発言を行いました。教育委員4氏の方々はそのことを知らなかった訳であり、教育委員会の意思疎通にも耳を疑った一幕でした。教育委員の皆さんの意見を集約致しますと、
①緊急時にどう対応するのか、学校が一つの災害時避難場所としているのが通例
②損なう部分は無いと思うが、各総合支所に学習課が大変だと思う。西目にいくから学習課いらなく無い逆に増えると思う、市街地にも学習課が必須、ただ単に効率化だけを先行させるべきでない
③西目にいて本庁との連携をどう執っていけるのか
④子供達や親の立場から教育委員会が遠くなるとの感覚だが、今までよりサービスが低下しないか心 配、市内学校の児童数は大半が中心市街地だ
⑤距離的には感じないが、現在の委員会施設はオープンすぎて重要な話がしづらい、西目は個室がある等々意見がありました。当の教育長はまだハッキリ返事した訳では無い等曖昧な答弁が目立った、合併時の分庁舎方式はしないとの取り決めがあるから、教育委員会が行かざるを得ない等の答弁でありましたが、合併から7年も経過した今それを引き合いに出す等の苦渋の答弁は説得力に欠けるものだった。 
  当局としても、本庁舎後方に分庁舎を建設する計画もご破算、財政的にも四苦八苦の状況は十分理解するがもう少し順序だてた計画的青写真を示すべきと思います。まだ決定と言うことではありませんが、これを前提として来春に向けて進める意向のようです。行革のおりがら空きスペースを利用することに異議を唱えるものでは無い。
 平成23年 9月10日・由利本荘市の学校は、レベルも向上教育環境や学力も上であると言われております、学校統合建築、耐震化事業などめまぐるしい程の仕事を抱えてソフトハード両面頑張っていることは誰しもが認めるところと思いますが、私は何と言っても旧本荘市は由利地域の郡都であります。いま日本の国は物心両面岐路にたたされております、独自で国力を発揚し盛り上げるには人間教育しか無いと確信します、だから私は教育の殿堂である教育委員会は中央でしっかりと腰を据えて市執行部と密接な連携の元に由利本荘市の未来を、いやこれからの日本を築く礎たる子供達をきめ細かにしっかりと育てて欲しいと願います。私個人的には矢張り教育行政は、市の中心地で執り行うのがベターな気がします。新しい学校に入ったからとて即教育万全とは言えないと思います。例え教育委員会が由利地内の何処へ移転しても事務等ぬかりなくやっていけるでしょうが、そう言う感覚では無いというのが私の個人的な見解なのです。
 市内小中学校歴代PTA学校関係者、教育関係者はどう思うことでしょう。以前国会議事堂も移転等の話もあったくらいだからどうてことないのかな……。
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by isamu_satou | 2011-08-25 08:50

文化複合施設の内部

  平成23年 8月23日

  60数億円前後(契約額は58億3,600万円)の巨額で巨大な建物の中を視察しました。新しいし、壮大な舞台はさぞ素晴らしいものと思いますが、
一方この維持管理も全て外注のメンテナンスと思うと手放しで喜んでばかりもいられない気がした。今期定例会には、震災の影響で資材調達の
遅れと言うことで人件費資材の掛かり増し分1億1千万ほどを請求され、弁護士を介して約4,600万円を追加支払いする事になった。
  今定例会には、現在の文化会館の解体工事実施設計業務委託費491万4千円が計上された。
   因みに、一昨年アスベスト対策で3千万円を投じて除去した建物です、現実離れした内部の構造などを拝見し、これを自在に使いこなせるのか不安でした。
1,100の観覧席を設置、なお可動式で普段は舞台と並行に平面化し床として使えるというものです。
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 公債費負担適正化計画を強いられている市には豪勢な建築物b0084826_1951529.jpg
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by isamu_satou | 2011-08-25 07:43

海上祭

 平成23年 8月19日
  
 由利本荘市マリーナ埠頭から、後方に鳥海山や西目町の風車の絶景をバックに
 全国高等学校ヨット大会が行われ、それを船で鑑賞応援出来ると言うシナリオだったようですが
 今日は天気も持ち直し、逆に風が無くヨットが沖に出られないと言うことで、私達の乗船時には
 その光景を望む事は叶わなかった。40分ほどの乗船であったが、海から見た由利本荘市もまた一味違う
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by isamu_satou | 2011-08-19 15:07

雨降れば大水

 平成23年 8月18日

  昨夜からの雨で、矢島・鳥海方面の大雨などでまた下流の子吉川由利町の付近が大水となりました。
6月の大水で、森子橋の桁に皮の向けた杉の流木が引っかっています。その所までもう少しで到達するくらい
に水嵩が増して来ました。この前のような豪雨では無いのですが。
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by isamu_satou | 2011-08-19 08:04

第52回全国高等学校ヨット選手権大会

 平成23年 8月17日

 午前9:30・由利本荘市マリーナ
  全国のヨット会長が、この静かな恵みの海が時には人の及ばぬ魔力を持っている、しかし海は人間の憧れの自然との共生できる数少ない競技種目だ、この大会を引き受けてくれた由利本荘市や関係皆さんに感謝しながら母校の名誉にかけて頑張れと挨拶。
皆さんの日頃の頑張りの成果発揮が国民に夢と希望を与えてくれますよう、頑張って欲しいと、実行委員会会長の長谷部由利本荘市長が挨拶。東日本大震災・津波で学校、自宅家族親類、親戚弟妹等々離ればなれあるいは失ってしまった高校生・ヨットの選手。また練習中の出来事で九死に一生を得た仲間の事、ヨットも全て失ってこの先どうなるのか全く見通しもないまま過ぎた苦悩の何ヶ月。
 全国から善意のヨット提供、物品の贈り物、練習場の配慮などその御陰でいま私達は、今日こうして此処秋田県由利本荘市のマリーナで開会式に臨み試合にエントリー出来る幸せをかみしめております。だから全力で頑張ります、と岩手県宮古商業高校生選手の言葉に私は涙が込み上げてきた。生涯記憶にとどめる大会であって欲しいと願った。
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   由利本荘市へ招致した割には、市民の応援が殆ど無かったのは残念
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  選手の御家族、出場校の関係者などが殆ど、壮大な大海に挑むヨットの整然と並んだ姿は見事
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by isamu_satou | 2011-08-17 18:12

西目街ハーブワールドのひまわり園

 平成23年 8月17日
 
 いま一番の見頃、可憐と表現した方がぴったりの今が見頃ひまわりの花
  由利本荘市マリーナでの北東北高校総体ヨット全国大会開会式の帰り道
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by isamu_satou | 2011-08-17 17:43

大井五郎満安公

  
  平成23年 8月 3日

  此処は矢島町立石高建寺の墓地です、お墓の掃除・今夏は母の一周忌初の棚、早めにお掃除をしようと言うことで一年分の汚れや周囲のごみを清掃した。ついでとは悪いが、時間もあったので矢島の殿様の家老職を勤めた大井五郎公のお墓が高建寺を菩提寺として、その威容を今に伝えている。公の周りには、ずいぶんと個人のお墓が詰め寄って環境も変わってきたが大井五郎公の歴史は変わらない。苔生す大井公のお墓掃除をして何となく歴史に近づいた気分でした。
  大分汚れも激しいので妻と二人でタワシ掛けをした。多分高い石塔なのでしばらくは手をかけれなかったものと思う。その末裔がいま矢島町の館町の大井家(元城下町)にご夫婦で住んでおられる。
  大井益二という方で、現在眼が不自由な生活をしておられるが利発な奥様の手伝いもあり、殆ど不自由無い生活をしておられる、勉強家で物知りでびっくりする。歴史にも堪能な方で教えられることばかり。明治の時代大井さんの祖父・(衆議院議員を務められた方)の大井直之助氏と現在の成孝住職の祖父の孝岳和尚様とが建立の発願者となっておるようでした。大井五郎にまつわる歴史は語るに紙面が足りないが、興味深く史実が伝えられている。当寺の現住職成孝住職もスポーツ万能、知識人でもあり真面目で檀家思いの良き和尚様で民から好かれている。いま屋根改修の大事業が進捗中。

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by isamu_satou | 2011-08-06 05:40

県の都

 平成23年 8月 4日
  議会改革検討委員会10:00より、まだ議会決定はしておりませんが
かねてより話し合いが為されてきた議員の定数問題は検討委員会として、
最終決定に至った。4名減員の定員26名で次の選挙から執行予定。
 その後一路秋田へ、秋田市・秋田高校と青森の黒石高等学校の
練習試合観戦、6日からは市内高校野球リーグ戦が行われると言う。
孫がいま二年、いくら応援に来たくともここ一年半くらいのものだろうと、
お盆を控えて(母が初の棚など)無理をして秋田へ。矢島よりは本荘、
本荘よりは秋田秋田よりは東京と人の出が違う。
 秋田は、平日だが竿燈祭り等があり結構人の往来がありました・イベント
広場では。
どの学校の運動選手も全て同じ事だろうけれども、不注意に怪我・病気等
運悪くしてしまうならば選手生活はお預けだ、昨日までいくら名選手でも
ポジション回復までは苦労する事だろう。
 監督から使ってもらえるだけありがたいと思って一生懸命頑張れと
メールで励ましている、しかし練習疲れや毎日の勉強で忙しいのだろう
返事すら三回に1回くらいだ、ただ怪我などしないで最後までやり通して
くれればいいと妻と話している(親たちもそう思っている事と思う)、本人
には言わないが中学を卒業と同時にまるっきり知らない他人の家で良く
三度ご飯を食べさせてもらって居ると感心する、特に上手な選手でも
無いが好きだと言うことで自分から進んでこの環境を選び謳歌しているようだ。
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by isamu_satou | 2011-08-06 05:02

第25回矢島カップMt鳥海バイシクル

 平静23年 7月23日~24日・全国都道府県から1,333名の選手が集った夏の祭典

  この日は、特に多忙、実家の法事、畜産共進会、自転車競技、岩城の花火大会身体がいくつあっても足りない日でした。今回もスターターをやらせていただいた。いつもの事ながら、何処の総合支所の職員も大変だ、イベントの盛り上げや、責任を持ってする運営のマニュアルが出来ている、ご苦労様とエールを送る。 b0084826_12244191.jpg 
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by isamu_satou | 2011-08-03 12:26